つく日 2018/11 「呼び方に関する考察」

文:KK

(注:以下に書かれていることは個人の意見であり、学術的根拠は持たないことをここに明記しておきます。せめて読み流してもらえれば幸いです。)

みなさんは周りの人になんと呼ばれていますか?上の名前、下の名前、あだ名等々……

ちなみに私はC4では「KK」、一部の学類の人からは下の名前、高校の同級生やこれまた一部の学類の人からは上の名前、他にもTwitterのアカウント名などで呼ばれています。(ちなみに大学内ではTwitterのアカウント名で呼ばれることが一番多いです。)

私がこの大学に入学してからはや8ヶ月が経過したわけですが、まだまだ初対面の人と会うことが多いので自己紹介をする機会が多いです。自己紹介をする場面では必ずといっていいほど名乗りますよね?また、そこでどう呼んでほしいなどと付け加えることも少なくないかと思います。ところで「呼び名」の持つ意味とは何なのでしょうか。

以前にとある友人が興味深い言説をしていたのでそれをここで取り上げたいと思います。というのも、「私のことは事前に言ってくれればどんな呼び方、例え蔑称でもかまわない」というこれまでに私が経験したことのない自己紹介をされたからです。普通は「○○と呼んで」やら「適当に呼んで」などとある程度呼び方に制限がかかった状態になるのですが、その人は全くもって自由だった。そう、何と呼んでもかまわない。改めて考えてみると、呼び名も名前も固有名詞です。固有名詞の重要な役割の一つは他のものと区別をすることですから、その人と全く関係のない呼び方でも、他との区別ができている場合は固有名詞としての役割をしっかり果たしているのでその人の考え方は一理あります。

 

ではなぜ普段は呼び方に制限をつけるような形で自己紹介をするのでしょうか。本来固有名詞に意味はありません。例えば「りんご」という単語は赤くて丸いあの果物のみを指すのであって、その味、香り、食感などを指す言葉ではない、要するにものの定義を簡略化した言葉であるといえます。しかしながら大体のものには単語に付随するイメージがついて回るので、そのイメージと自分と照合するという点で呼び方をある程度制限することが大切になる、というのが私の持っている一つの考え方です。

話は多少変わりますが、なんと呼ばれるかも人間関係で重要なことと考えられます。これはあくまで個人の経験ですが、自分の期待する呼び方で呼ばれるとうれしくなり、その人に好印象を持つようになると思われます。また、心理学で「好意の返報性」というものがあり、それと組み合わさってより良い関係になることまで期待できます。これは個人の視点ですが、この点だけを見ても呼び方って重要ですね。

以上、駄文をここまで読んでくださってありがとうございます。この文章をきっかけに今年最後の月のふとした時間に呼び方について考えてみてはいかがでしょうか。心機一転呼び方を変えてみるというのも面白いかもしれないですね。

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