先日、打合せ先でお茶をこぼしたのである
———それは まさに一瞬の出来事であった。
vol.17編集長が大変考え尽くされた素晴らしい記事を書いてくださった後にこんな話をするのも気が引けますが。
話を一通り終えてお茶を頂こうとしたときの話である。
別に酷く緊張していたわけでもなかったはずなのだが湯飲みのおよそ4分の1ほどのお茶を シャッ とこぼした。
本当に一瞬の出来事であった。
茶托と湯飲みが少しくっついていたためにバランスを崩してしまったといえばまあそうなのだが、そこで焦って手を緩めた自分が悪い。
———机の上には小さな黄緑色の水溜まりができていた。
(緑茶でした)
良い感じに話が終わったところであったのに最悪である。さすがに自分を呪いたくなった。
ところが相手の方は大変優しく、布巾でそれを拭いてくださるだけでなく世間話をして場を和ませてくださった。 これではもう足を向けて寝られない。
———さて、こぼした現実の出来事に関しては拭いてしまえばどうにか何もなかったように見える。問題なのはこの出来事の記憶を部分的に脳内から抹消することは不可能であるということだ。
こぼすはずのないお茶をこぼすというのは一大事である。大変印象に残りやすい。
相手方が自分を思い出すときはきっと「お茶をこぼした人」という印象が第一に出てくるに違いない。なんてこった。 名刺交換したのに。
この日に重要な話をしたのは確かに覚えているのだが、私自身の印象としては「お茶をこぼした日」なのである。なんてこった。
これで顔を覚えていただけるのなら幸いだが、別に私は面白い話をしたわけでも何か利益を生み出したわけでもない。たんなるドジである。
いや、何も印象に残らないよりマシか?
「何故私はあの瞬間お茶をこぼすに至ったのか?」が一週間脳内を占拠している。
もう絶対打合せの場でお茶をこぼすものかと決意して今に至る。
vol.17編集長が前回書いてくださったのですが現在C4内では
ツクマガ・ツクナビを同時に考えている状況に。
ツクマガは着々と取材が進み、
ツクナビも徐々に話し合いを進めています。
なんとか新年度をスムーズに迎えたい、そんな日々。
2019/01/28
文:こだま
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