つく日 -2018/04 「トモダチ」

文章:菅井(ボマー)

 *以下の記事は、きちんと友達ができた新1年生が99%不快になる内容を含んでいます。該当する生徒は速やかにブラウザバックしてください*

 

この時期になると、生半可な気持ちで学食に行けなくなる。

混むからだ。新入生によって。

そして行くと決めたら早めに席を取りに向かわなければならない。

彼らはほとんどがきちんと午前の授業を受講しているからだ。

トロトロ歩いているとあっという間に席が埋まり、来たはいいもののウロウロ空席を見渡しては最終的にスゴスゴ背中を向けて食堂から立ち去るという生き恥を、二十歳やそこらで晒すことになる。

特に僕のような普段から一人で飯を食っている「メシボッチメン」がそんな恥辱を味わえば、それは死ぬまで苦しむ心の後遺症となり、不登校になり、留年し、親から見放され、慣れない肉体労働で日銭を稼ぎ、体を壊すものの医者にかかる金もなく埃を被って死んでいくのは、火を見るより明らかなのだ。

「一緒に飯を食うダチもいない生物が、人並みに『大衆』食堂のスペースを利用しようとするな」

そんな新入生の声が聴こえてくる気さえする。

 

だからこの日も僕は、二限が少し早く終わったことをいいことに学食に向かい、席を確保した。

この「席」も、一考して選ばなければならない。横一列に長い相席前提のテーブルなんぞ座れば、高確率で新入生が隣に座ってくる。しかも彼らは、長テーブルに座るだけあって、ほとんどが「友人グループ様御一行」なのだ。

出来たばかりの友人とのメシを盛り上げたくて仕方ない彼らの隣で言葉を発さずに食う飯は、…こう…なんというか、味が薄くなる。

「俺は大学が始まって1週間も立たないうちにこんなに友達が出来たぞ。お前は丸2年もの間何をしていた?」

「そこまで人付き合いをしてこなかったお前のGPAは、さぞ天にも昇る高さなんだろうなぁ?」

そんなこと思われて無いことは百も承知だが、意味もなく自分をいじめてしまう。

 

そも彼らは、僕のようなメシボッチメンの存在なんて目に入ってない。

道ばたに犬のフンが落ちていた時、考える前に目を逸らす。あれと同じだ。

 

だから僕はいつも四人席を使う。(三学食堂は長テーブルか四人席)

一箇所に座り、前の椅子に上着を掛け、駄目押しとばかりに横の椅子にリュックを置く。さらに斜め前の椅子に席取りがよくやる学生証とかも置く。置いちゃう。

これで完全・安全な「陣」が形成された。

悠々とカウンターで注文をして、自適に飯を食らう。彼らと違い「コミュニケーション」という有意義性が無い分、メシボッチメンの利はこの「飯を味わう」という一点だ。

たかだか学食の飯で何言ってんだとか言う事なかれ。泣きたくなるから。

ここまで僕を追い込んだのは他でも無いお前らだという事を自覚して欲しい。そもそもなんでブラウザバックしてないんだ。

それに、こうやって存在しない第三者に見られながら食うメシは、結構おいしい。

脳内で孤独のグルメごっことかしている。

 

 

その日は続く3限が空きコマで、珍しく僕は図書館前のスタバに行くことにした。いちごの新作が出たのだ。

ここまで文章に付き合ってくれて、僕のパーソナリティーが少しでも垣間見えている読者なら分かるかもしれないが、この時期のスターバックスは僕にとってまさに現代に具現化したディストピアと化す。

『学校にスタバがある』。大学生となった自分に浮き足立った新入生が、「学校」と「スターバックス」という今まで決して交わることの無かった異色のコラボに憧れを隠しきれない様子でこぞって立ち寄り、インスタなりTwitterなり各自思い思いのSNSに上げて興奮をハッシュタグで共有している。

更にそれを噴水前の芝で皆一様に吹き出るつくば水を眺めながら食す様は、「芝充(渋)滞」と言って毎年の風物詩なのは、上級生の方ならご存知だと思う。

何もかもが新鮮で、めでたくも新しい人々に出会え、華々しいキャンパスライフの幕開け真っ只中!という瞳がギョロギョロとうごめく店内で並んでいると、慣れない刺激で胸焼けのあまり、前の子のフラッペにさっき食べたお昼ご飯をトッピングしてしまいそうになる。

…でもそれはそれとして、ストロベリーマッチフラペチーノ、すごいおいしかった。

 

ここまで読んでいただいて、どうか勘違いをしないで欲しい。

僕にも多くはないとは言え、大学で出来た、仲良く付き合ってくれている気のいい友達がいる。本当に本当にありがたいことに。

この卑屈な一面は、大学入学してから、学類でのコミュニティ形成に失敗した数ヶ月の間に、かつて培われてしまったものなのだ。

そして、そんなかつての僕と同じような焦燥感に囚われて、気ばかりが摩耗している人がいるんじゃないだろうかと思い、今回4月の筆を執った。

僕がこの場を借りて伝えたいのは、だから、上の注釈に残念ながらも該当せず、

物好きにもここまで文章を読んでくれている、画面の向こうの君。

 

友人作りに出遅れて、交友関係に絶望していた僕のようなそこの君。

 

発声をしなさすぎて、Siriに話しかけて「おしゃべり感」に満足して一日を終えていた僕のようなそこの君。

 

君に伝えたい。

「なんだかんだ友達ってできるよ」なんて無責任なことは言えない。僕には少ないながらも出来たけど、君には死ぬまで出来ないかもしれない。

 

でもこんな僕だけど、フルコマなのに一言も喋らずに学校が終わる僕だけど、生活は楽しいです。

大学は自由な環境です。自分で責任をとれるなら、好きなことが出来ます。

研究に没頭しようが酒に溺れようが恋に溺れようがカラオケに入り浸りようが他学類の授業をどれだけ取ろうが、全て自分で決めていい場所です。

友達は、その思い出を更に彩る名脇役です。

 

だからまずは、モチベーションになる何かを見つけられたらと思います。

無いなら、新しい経験をして、とにかくいろんな刺激を受けてみるのもいいでしょう。

僕は近々、宿舎の横のタイ古式マッサージにチャレンジしてみるつもりです。よかったら一緒に行きましょう。

 

 

つく日をはじめこの「ツクナビ」では、そんな刺激探しのお手伝いができればと思います。

せっかく選んでこの地に住むことにしたんだもの。望んでいなかった人も、それも何かの縁。

どうかあなたのつくばライフが、「あなたにとって」実りあるものになりますように。

 

文章:学生団体C4 菅井(ボマー)

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